2024年2月11日(日)、第61回愛媛マラソン開催
はい、昨日が大会当日でございました。
そして私もなぜか参加者に。
思えば「当選なんてしないしない。大丈夫大丈夫!」と、周りに極秘で軽く応募したのが数ヶ月前。
まさかの当選通知が届いてから当日までの数ヶ月。
いやぁ、本当に私は何をしていたんでしょうね(笑)
まだ先まだ先と考えていたらあっという間に当日を迎えてました。
家族親族含め誰にも言わず生活していた最中、「対象をHPで確認!」と、とある懇親会で情報漏洩されたのも、いまとなっては良い思い出です。
しかし走るとなったからには練習です。
この3週間、週1日のペースで加茂川橋を2往復してきた私に恐いものなどありません。存分に成果を見せてやりましょう!
迎えた当日、出走時間がドンドンと迫ってきます。
さてどうやら津島会長と石川直前はEグループの模様。私は最終のGグループです。
このスタートゲートを通ってしまえば、もう道中で会うことはないでしょう。
応援サポーターとして髙橋尚子さん、土佐礼子さん、浜口京子さんと著名な方々がステージ上から声援を送ってくれてましたね。なんとも豪華で有難い。
しかしそれがどうした。
私には出発前に届いたメンバーからの応援メッセージがあります!こちらの方が遥かに嬉しく、パワーが貰えるのです。
貴重な日曜の朝の時間、皆さん本当にありがとうございました (*´人`)感謝
雨が降り風が吹く中、ついに私も出走です。
出発地点では松山YEGの奥山さんがお見送りでいらっしゃいました。
なんでも愛媛マラソンでの離脱者回収バスを担当しているとか。
フハハハ、すみませんなぁ奥山さん。
今回は津島会長も私もお世話になる事はないでしょう。フフッ ( ´_ゝ`)y-~~
意気揚々とスタートして県庁前を走って行きます。
が、しかしルンルン気分も束の間。
程なくして後方から凄い速さで「歩いて」来る人がいます。
「ほぇ?何?誰?歩いて・・ますよ・・ね?」(;・∀・)?
開始まだ10分とかじゃなかったですかね。私もまだまだ体力MAX状態です。
それでも横を通過した瞬間に感じる絶望感。
無理です。異常な速さです。1分すら並走することはできないでしょう。
なるほど、これがオリンピアンの実力・・・世界と戦うレベルを直で感じられました。
と同時に、これで私も諦めがつきました。やはり世界は遠かっt
さぁ気持ちを切り替えて走り続けましょう。
マラソンの代名詞である沿道の声援が心地よく耳に入ってきます。
見ず知らずの大人達が手を振り旗を振り、見ず知らずの子供達がタッチを求めてきます。
最初は恥ずかしくて素通りしていた私ですが、7km地点前後でついに勇気を出してハイタッチ!
するとどうでしょう。
未来の大人達は嬉しそうに「頑張れー」と言ってくれるではありませんか。
まるで有名人にでもなったかのようなこの感覚……ヤヴァイ。脳汁が溢れます。(*´Д`)ハァハァ
これならどこまでも走れる気がする!疲れなど皆無!完走余裕!
10km地点の看板が見えてきます。
「ぉお?これで10km?ほっほー・・・・・っざけんなっ!!(;゚Д゚)つ」
「あとこれを3回+α 走れだと?」
「はぁ?無理!嫌だ嫌だ!走るのもう飽きた!デザート食べたい!」
集中力が切れました。
そうだ!こんなときこそ沿道の声援が私に力を!と思い耳を傾けますが……ダメです。
もはやそれも私の闇部分を引き出すツールにしかなりません。
友澤ダークver が漏れ始めます。
「〇〇くん、頑張れー」
はぁ?恋人ですか?それとも私に対する嫌味ですか?リア充自慢は楽しいですか?
「〇〇ちゃん、ファイトー!絶対完走できるよー!」
はぃ無理ぃー。私の隣を走ってる時点で完走なんて絶対できませんからー!残念っ!
申し訳ございません。違うんです。
これはそうしなさいと某先輩に教えられたんです。
疲れたときは周りに暴言を吐きなさい。そうすれば5分走れるようになる、と。
右手に眼鏡、左手には時計、首には宝石を携えた偉大な先輩の教えなんです。
ピュアな私は逆らうわけにはいかず、思いつきもしない言葉をなんとか無理矢理に捻り出していただけなんです。
悪いのは私じゃないんです。デモ (゚∀゚) タノシイ
15km地点付近、ついに私の少ないボキャブラリーが底を突きます。
一気に襲い掛かってくる疲れ。ダメだ。もう走る気力も無くなってきた。
お願いです!誰か!誰か!私に新しい罵詈雑言のレパートリーを与えてください!
そう切に願っていた、そのときです!
「・・友澤くん・・・」
私の背中に菩薩の如き暖かい手が触れてきます。
つ、つし…つしm、津島会長ぉぉぉおお!!(*´Д`)
大丈夫?私の闇部分はバレてないでしょうか?冷静に、冷静に。
しかしご自身もさぞ辛い中、私なんぞにお声を掛けて頂けるこの喜びたるやもう。
闇の権化が一気に浄化されます。
やっぱり周りの声は力ですよね。人間素直が一番^^^^
おかえりなさい「友澤:ホワイト ver」。
不思議と足の痛みは消え、文字通り背中を押されるようにして走りを再開します。
そうして訪れた中間点。
持参した食料を食べてエネルギーを入れなければ!
ポケットに手を入れます。
はて?これまた面妖な・・。なぜか出てくるのは空の容器ばかり。
今日は羊羹を3種類(つぶあん・こしあん・薄墨)、わらび餅を2種類(ノーマル・黒糖)、団子を2種類(みたらし・きなこ)持ってきました。
なのにどれだけ探しても空容器しか出てきません。
走ってるから甘味食べ放題祭りだ!と計画はしていたものの、これは想定外。
落とした?落として誰かに食べられて空容器だけをポケットに戻された?
ははーん、噂には聞いていたものの悪い奴らがいるものだ。
ありえる。だが無いものは仕方がない。
隣で美味しそうに何か食べている青年に罪はありません。行きましょう。
すると、お?なにやら折り返し地点と書かれたの特大パイロンが見えました。
え?折り返し?
中間地点=折り返し地点だと思っていましたが、どうやらその2つは別地点の模様。
中間地点は本当に中間地点、折り返し地点は26km付近だったでしょうか。
単なる位置情報ですね。わかります。
で、その辺りでついに来ましたね、アレが。
そう、脚痛です。
私の場合は股関節でした。
足を前に出すことにすら苦痛が伴います。まして走ろうものなら悲鳴が出そう。
もうここが限界か…と思っていた、そのときです!
再び感じる後光のような暖かさ。
はい。そうです、我らが津島会長です。
人々が苦しいときに現れるとはまさに神様菩薩様。
しかし先ほどとは違い、見るからにとても辛そうです。
そこにいつもの笑顔はなく、痛みと闘いながらも使命感を背負って走る姿。
「無理しないでください」などとは気軽に言えない真剣な眼差しです。
私もまだいける。いや、ついて行かねば。
勇気をもらい再び足を動かし始めます。
しかし無残にも時は刻々と過ぎていき、15時を回った30km付近。
どうやら私の挑戦に終止符を打つ時が来ました。
第7関門、無念のリタイアです。
周りを見ると沿道を外れて脚を労わる者、座り込む者、リタイアを家族に伝える者。多くの同志が戦いを終え、ひとり、またひとりと回収バスに乗っていきます。
しかし限界を超えた我が両脚は、バスの昇降階段を上ることすら拒絶してきます。
飼い主の言う事を聞かない脚。
10cmの段差ですら手で介護してあげないと動いてくれません。
送られたゴール地点からもまた地獄です。
預けた荷物を受け取りにいく。そしてそこから駐車場まで行かねばならないという拷問が待っています。
ただいまの状況:分速6歩。距離にして3mあるかないか。
果たして日が暮れるまでに駐車場へ辿り着けるのか。
というか、そもそも運転できるのか。
そんな満身創痍で私の愛媛マラソン初挑戦は幕を閉じたのでありました。
そして帰り道の静かな車内。
一人で運転していると悔しいような寂しいような気持ちが湧いてきますが、それ以上にこの道も、この場所も、数時間後には普通に車が通って人々が行き交います。明日になればいつも通りの生活風景になっている。
そうと考えると、まるで今日の出来事が無かった事にされてしまうような気がして、一緒に走った人達の儚さが身に染みてきます。
夏草や 兵どもが夢の跡
赤の他人ばかりでしたが、この数か月間、共に夢へと挑んだ仲間達とその時間に切なさを感じる、今日この頃なのでした。